50,000 Hit 御礼


主宰者としては夢のような数字です。これもお引きだて頂いた会員の方々並びにご来訪の皆様のお陰です。心より御礼申し上げます<(_ _)>。

昨日夜半に 50,000 Hit を達成いたしました。今回も残念ながら踏み人知らずとなりましたが、10,000 hit を達成するのに「最低2年はかかると思っていた」と昔書いていましたから、1年間に 5,000 Hit を獲得するのが目標だったのですが、サイトを開いてから約2年半(開設は'03.05.24)ですから自分が思っていた4倍の数のお客様がいらっしゃった事になり、これも更新を楽しみにして頂いているご来訪のお客様、そして HTML 等初めは全く無知だった主宰者の手ほどきをして下さった特別名誉会員の Pirosy さん、今回の大更新に当たり示唆に富んだ助言を下さった会員の 一朗太 さん、二宮ひかる作品の連携企画を快諾下さった 斉藤ようこ さん等の会員の方々のサポートなしには達成できなかった数字だと心から感謝しております。
振り返ればサイトは現在でもプレオープンのまま(^^;。常設コーナーの全てを開設する事が出来ずにのたうっている状態で主宰者としては情けなくて涙が出そうです。常設コーナーは現在でも執筆を急いでおりますが、思うに任せず書いては直し書いては直しを繰り返しており、時間ばかりが経ってしまい、もう申し開きも出来ない状態で本当に土下座してお詫び申し上げる以外に方法がない状態です。もう暫くお待ち頂きたく存じます。
そう言いながら「50,000 Hit なんだから何かしなくちゃ」と無謀な事を考えておりましたが、以前コラムで新渡戸稲造の『武士道』を取り上げると宣言しておきながら手付かずの状態である事にはたと気がつき、「しまった」と思った次第です。そこで、サイトのメインコンテンツではありませんがシリーズのコラムで新渡戸稲造の『武士道』を取り上げようと思います。『武士道』に関しては昨今様々なメディアで取り上げられましたが、原文を読み返してみると新渡戸稲造が意図する所と全く違った引用のされかたをしていたり、明らかに原文を読まずに誤解を招くような解釈が為されており、考え込んでしまう場面もしばしばでした。また時には昭和16年に当時の陸軍大臣であった東条英機によって示達された『戦陣訓』と一緒くたにされている感も有り、それが最も権威あるメディアであるはずの NHK で放送された日には頭を抱え、誰かが意図的にごちゃごちゃにしているのではないか、と疑いたくなる程です。因に太平用戦争下で多くの日本兵に玉砕を強要した有名な一文、

「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残す事なかれ」

と言う言葉は新渡戸稲造の『武士道』には登場せず、東条英機が示達した『戦陣訓』の中に登場する言葉で、NHK 特集『映像の世紀』で米軍兵のセリフとはいえ、それが武士道と言わんばかりの表現が為されています。同じような項目を新渡戸稲造の『武士道』で探すと第四章「勇・堅為堅忍の精神」の中で

「武士道にありてはしからず、死に値せざる事(新渡戸稲造が作中で「あらゆる種類の危険を冒し、一命を危うくし、死の顎門に飛び込む行為」と評している猪突的行為)の為死するは『犬死』と賎しめられた」

と著されており、明らかに東条英機が示達した『戦陣訓』は武士道に反する考え方を兵士に強要したとしか主宰者には感じられない訳です。これらの事を考えに入れると太平洋戦争下の所謂「大本営」と呼ばれる組織が構築した「一見武士道のようなもの」を取り上げ、太平洋戦争をできる限り客観的に理解しなければ正しく新渡戸稲造が説く所の『武士道』を理解する事は困難な事、また、その「大本営」によって歪められた「一見武士道のようなもの」が今でも潜在的に健在であるならば、太平洋戦争と絡めて『武士道』の誤解を解かなければ本来の『武士道』が見えてこないと言う事、そして今後の日本の為に真に『武士道』を役立てる為には未来を考慮に入れて考えなければ意味がありません。そこで新渡戸稲造の『武士道』、保坂正康の『あの戦争は何だったのか』、そして別途非会員からリクエストのあった NHK 特集『映像の世紀』、同じく主宰者の手元には断片的にしか残っていませんが『世紀を超えて』をシリーズのコラムとして取り上げ、政治色をできる限り排除し、本来新渡戸稲造が著した『武士道』とは何だったのかを考えたいと思います。乞う、ご期待。

示達:「上級官庁から下級官庁などに対し,注意や指示事項を通達すること」(大辞林)

Posted: 水 - 9月 28, 2005 at 05:42 午後