新渡戸稲造『武士道』序論(2)


今回取り上げるのは正確には序論ではなく、米国人の手による推薦文ですが、新渡戸稲造の『武士道』を外国人がどう受け取ったかを知って頂きたいと思いますので序論(2)として取り上げたいと思います。

前回のコラムで取り上げた通り、新渡戸稲造はその著書である『武士道』を「日本における道徳教育がいかにして行われているかを紹介する為に」執筆し、その一つの例として彼が少年時代に一貫して受けた道徳としての武士道が如何なるものかを紹介した事を解説しました。繰り返しになりますが、本著作は上述のような目的で執筆された事から米国で最初に出版されました。その際ウィリアム・E・グリッフィスなる人物が推薦文を『武士道』に寄せています。この部分も甚だ重要な内容でありながら取り上げられる事は極めて少なく、また、実際読み飛ばす方も多いと思いますのであえて取り上げようと思います。
このグリッフィスなる人物は1860年に江戸からの使節団と出会い、しばしば彼らと武士道について語らい、その時の印象を次のように述べています。

「彼ら(使節団)の中にはウィロウ・グロウヴ墓地に眠った者も一人ならず居たが、それらの者の臨終の際においてすら遠き日本のこの最も香ばしき花の香りは甚だ甘美であった」

しかし、この称賛が異国情緒に酔ったものでも無く、また、我々が勘違いしやすい「武士道のようなもの」が示す「滅びの美学」に酔った物でも無い事が次の一文から推察できます。

「(武士道と)我々の道徳及び礼儀の法律は異なった。しかしそれは点、切線位の差であって、日蝕月蝕ほども差があるのではない」

つまり日本の武士道は道徳として欧米の宗教を通した道徳となんら劣る所が無い事、さらに多少の差はあるもののその差は非常に小さい物で欧米人から見ても不自然な物ではなかった事が解ります。つまり日本固有の価値観と思われがちな『武士道』は実は欧米の文化と比べてもそう大きく違わないと言う印象をグリッフィスは持ったようです。次に面白い記述が登場します。つまり日本人全員が共有するべき価値観と思われがちな『武士道』が実は一部の階級で行われていた道徳教育であった事をグリッフィスは日本に実際に来て確認をしています。

「私は1870年に、アメリカの公立学校制度の方法及び精神を紹介する為ために教育開拓者として日本に招聘せられたのであるが、(中略)武士道がこの城下町と国とにおいて、全ての上流階級の日常生活における普遍的なる信条および実践を成している事を、私は知った」

つまり新渡戸稲造が著した『武士道』と言う価値観はここで言う所の上流階級、つまり武士の間で行われていた道徳教育であって、町民などの一般の階級にはあまり縁のない物であった事が言外の事実として述べられているように感じる訳です。
日本人が武士道、正確にはかつて大本営と呼ばれた組織によって作り上げられた「武士道のようなもの」を共通の価値観と勘違いするきっかけを作ったのはやはり職業軍人がかくあるべしとして全ての職業軍人がそらんじる事が可能なように教育された(某国の教育にそっくりですね(苦笑))、「忠節」「礼儀」「武勇」「信義」「質素」を基本条項とした『軍人勅諭』、並びに以前紹介した『戦陣訓』のふたつが大きな原因と考えられます。グリッフィスはこの推薦文の最後に新渡戸稲造の『武士道』を評して

「東洋と西洋との調和と一致の解決に対する著しき寄与である」

と述べています。この事から新渡戸稲造の『武士道』を正しく読むならば、現在東洋と西洋の狭間で揺れ動く日本の一つの指標がこの著作の中に隠されているのではないかと言う考えに到達します。まず己を正しく知らなければ有効な関係を結ぶ事は難しく、その点でこの新渡戸稲造の武士道は西洋と東洋の掛橋となりうる著書であると当時のアメリカ知識人をうならせた事が分かります。今回最後になりますが、新渡戸稲造は武士道を美化する事なく、あえて自身を「被告」と呼び、武士道をできる限り客観的に書こうとした事についてグリッフィスが述べている事を付け加えたいと思います。

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Posted: 火 - 10月 4, 2005 at 06:46 午後