榎本ナリコ『センチメントの季節 〜夏の章〜』第10話


「誰かと、ふるえながらキスしたのは…アレはいつ?」

人間の「慣れ」と言うものは実はとても怖くて、本当は特別な事のはずなのにそれが続くとそれが"特別"ではなく"日常"になってしまい、"日常"になってしまった事に気がつく人はまだいい方で、その特別が続かないと「何故同じようにならないのか」と腹を立て、揚げ句にその"特別"が起こった時の事を思い出して何度でも同じ事をしようとする。勿論それでまた同じ事が起こる事もあるのだが、そうなると逆に同じ事を何度でも繰り返して単なる拡大再生産になる事も多い。何が本当は大事な事なのかを思い出す事も無く。榎本ナリコ先生の『センチメントの季節 〜夏の章〜』第10話『汚れた悲しみ』のレビューをお送りする。
このエピソードの主人公である少女の初体験が援助交際だったというのは有る意味悲しい事だと思う。多分に興味本位の体験になるし、その興味本位の知識欲が満たされればそれなりに満足してしまう気がするからだ。「オヤジの腹の下で世界のヒミツを知った気分だった」と言う下りは多分そんな意味だと思うし、優越感さえ感じられる。だからだろうか。この少女は「世界のヒミツ」を年下の少年に教えようとする。友人の弟である少年にとってやはりそれは未知の世界で、二人の行為はどんどんエスカレートして行き、少年の慢心もまたエスカレートして行く。少年はいつしか少女を「所有」していると勘違いするようになり、少女は少年の変化に多分に辟易しながらも少年の"慣れ"にも自分の"慣れ"にも順応してしまっている事に気がつく。

「誰かと、ふるえながらキスしたのは…アレはいつ?」

男という生き物は物凄く馬鹿な生き物で、特別な誰か、そう、たとえて言えば「何の理由もなく電話を出来る相手(勿論異性で)」と言う事が本当はとても特別で幸せな事だという事をすぐ忘れる。「釣った魚にえさはやらない」と言う言葉は正にそういう意味だし、自分がどれだけの情熱と努力でその"特別" を手に入れたかを忘れてしまう。このエピソードの少年の場合殆ど努力無しで手に入れてしまっているから尚更だろうけれど少女の

「悲しい」

と言うつぶやきにも似た少女の気持ちに慢心した少年が気がつく事があるのだろうかとふと思ったりする。

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Posted: 水 - 7月 27, 2005 at 12:46 午後